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いきるということ☆

少しご報告が遅れましたが

通夜、葬儀もおわり少し落ち着いたので皆様にお話したいと思います。

2月12日・・

わたしの母・・実母がなくなりました。

69歳・・享年70歳でした。

まだ若いですよね・・若いです。

母がこんなに早くに目の前からいなくなってしまうことは昨年までのわたしには全く想像しないことだったので

わたしの前から母がいなくなることがわかった最初の日12月の頭には・・

大きな大きなショックを受けました。

なぜ?どうして?どうして母なの?

街を歩く人の中で高齢の方を見るたびに・・

どうしてこの人は元気で・・うちの母が?身体にも気をつけていたのになぜ?

あたりまえのように街を歩く母より少し年上の方やうんと年上の方を見るたびに

すみません・・本音をいわせてくださいね・・。

失礼なことを書いていますが・・お許しいただけたら幸いです・・。

やるせない・・なんで?なんでなん?

そんな思いが胸を駆け巡ったことも・・ありました・・・。

母の余命が短いことを知り・・母自身もそのことを知っているとしり・・初めて入院先の病院で会った日には

気丈に病と闘おうとする母の言葉に・・逆に元気づけられ・・勇気をもらい・・

そして・・ときおりもらす言葉が・・自分がいなくなった後の整理に関わるものが多く・・

ああ・・・母は覚悟を決め・・生きている・・んだ・・

母のほんとうの胸のうちはわかりません・・

でも・・不安でいっぱいかもしれない・・悲しみや苦しみでいっぱいかもしれない胸のうちを思うと

その日は病室を出た後・・エレベーターに乗った瞬間駐車場で・・号泣してしまいました。

涙があふれて止まらなかった・・。

けれども・・

気丈に振る舞い、笑顔で自分を励ます母を思いだし・

「できることをすべてやってあげよう」「母が最期までいきるのを応援しよう」

こうきめて・・この日からなくのをやめることにしました。

毎週・・毎週・・出張の合間をぬり・・兵庫の山間部にある実家近くの病院へ・・

かおを見に、励ましに、少しでも笑わせて元気をあげたい

仕事の話もたくさんしました。

実はそれまでは出張が多い私の仕事を・・遠くまで行くから体が心配だとよく母は言いますし

夫や娘のことはちゃんとできてるの?

できてるよ、大丈夫だよ!といってもそれでも気遣ってくれるので

あまり心配をかけたくなくてほとんど母にも・・どんな仕事をしてるのか?具体的には話したりしてなかったんです。

母は私の講演を聞いたことがなかった・・。

だから出版の話が決まったことも、はじめて母にこの時に言いました。

母はすごくビックリし、喜んでいました。

一冊目は必ずお母さんに贈るからね!それまで元気でいてくれなくちゃ困るよ!

「読みたいからがんばる!」嬉しそうにそういってくれました。

講演先で撮った写真もたくさん見せました。

講演ジャンル別に写真をファイルにしてもっていってあげたら

こんないろんな人の前で話してるんだ!みんなが楽しそうな顔になる笑顔になる仕事をしてるんだと

すごく喜んでくれて・・その写真を同じ病室の方や看護師さん、先生、見舞いに来てくれた人たちに

みせびらかして娘自慢してたみたいで・・

わたしを生んだのはお母さんだよ!お母さんは多くのひとの幸せと笑顔の源やんか!

だからずっとそばにいてよ!わたしのためにもみんなのためにも

頷いてくれた・・。

年末に外泊許可が出て一時退院・・自宅に帰れることになったので

お正月をみんなで迎えられてよかった。

ご近所の方・・母のお友達・・お茶をいれるのに大変なほどわんさかわんさか人がきて

母はみんなに愛されている人なんだな・・

専業主婦でパートやボランティア活動をしていたけれど

知り合いが本当に多くて・・・

驚いた・・。

お正月はみんなが帰ってしまってから3日の日から・母と父と・・3人でしばらく過ごして

この時は楽しかったな・・。

母に・・食べたいっていってるものを全部作って食べさせた。

入院中のくせに私よりよく食べて・・心配したな・・

病院に戻ってからは・・

病状が次第に悪くなってきて・・

毎週・・毎週会うたびごとに・・弱っていく姿をみるのを妹や・・おばさんは悲しんだりしてたけど

わたしは・・母が必死でがんばって「生きている」ことを心から応援しようと決めていた。

だから・・弱っていく母もがんばっている証なんだと受け止めていました。

1月29日・・誕生日・・母の69歳のたんじょうび・・

妹と二人でお祝いに行ったのですが

食事制限でケーキも食べられなかったし・・

何もお祝いしてあげられないけど・・

わたしが持って行ったバースデーベアをとても喜んでくれて・・

握りしめ、撫でて・・

しんどいのは全部この子がもってってくれるから

大丈夫やと言っていた。

看護師さんたちが病室にきてハッピーバースデーを全員で歌ってくれた時には・・

母も泣いたけど私と妹も・・泣いてしまった・・・。

毎週毎週・・病院に行き・・仕事もあって・・出張も多く

家事もあって大変だったけど

会いたくて会いたくていったからちっともしんどいなんて思ったことない

もっともっとずっとずっと病院に行ってもよかった・・。

毎日電話もしてたけど・・電話に頑張って出てくれた・・

声を聴くと安心した。

2月10日・・なくなる二日前・・・

いつものように病院に行き・・

母のかおをふいてやり・・指をふいて・・足をふいてむくんでる足をもんであげて・・

歯を磨いて・・水をあげて・・

しあわせだった・・。

母に触れさせてもらえてること・・本当に幸せだった・・。

こどもの頃は母に・・触れられる日もあったけど

オトナになるとじぶんから親に触れることってなかなかない・・。

ましてわたしは長女で・・甘えべただったので・・小さい時から母にはなかなかあまえられなかった。

母が入院してからは触れることができるようになったことがすごく嬉しかった。

ずっとずっと触れていたいって思っていました。

この日・・母はこう言いました

「夜になるとドキドキして眠れない」

「8時~9時・・こわくなる」

「気分が悪くなる」

「だからいつも自分で歌ってるんや」

「365歩のマーチとか春よこいとか歌ってる」

これを聴いた時には胸が苦しくて苦しくて・・

たまらなくなった・・。

母は一人でがんばって「生きよう」として生きて!

がんばってる・・。

2月12日・・16時半・・急に容態が悪くなり・・30分後には駆けつけた親族に見守られなくなりました。

わたしはこの日大阪市内で夕方から講演があり・・

連絡が入った時には・・会場入り30分前でした。

講演会場に入る瞬間・・

母が亡くなったことを妹からの留守番電話で知りました

講師の仕事をすると決めたときから・・ひょっとするとこういった時に

すぐにかけつけれない代わりのきかない仕事であることは覚悟していました。

わたしの務めを無事終え・・

母のもとに駆け付けたときには・・

精一杯生きた母は・・安らかな美しい・・とても美しいまるで

笑っているかのような顔で・・そこにいました。

「あやこに・・仕事に行くようにいって・・」

母の残した言葉・・

「お母さんはお前のことを誇りに思ってた」

父からの言葉・・

そして母の日記の最後に必死に書いた文が

「あやこにでんわにでられないといっておいて」

でした。

毎日毎日電話をかけていたので出られなかったらわたしが心配すると思って書いたのでしょうか?

お母さん・・・立派すぎるよ・・・すごすぎるよ・・・

あなたの娘に生まれたことを心から誇りに思います。

ありがとう!

わたしを生んでくれてありがとう!

母にしてあげたかったこと・・母と一緒にもっとやりたかったことは数えたらきりがなく山ほどあります。

でも・・できなかったことの後悔もない

お母さん、よくがんばった!

すごくよくがんばった!

よく生きた!

お母さんの死のことをかわいそうに・・とか・・いってくださる方も多いけど

わたしはお母さんのことをかわいそうだなんて思ったこと1度もない

母はつよかった、立派だった、すごかった、よくがんばった!

ステキだった!素敵だ!

最高の人だ!

母の姿は目の前からなくなってしまったけど

心の中にも私の中にも私の魂にも

母はいき続けているから

わたしは母からいただいた命を精一杯生きようと思います。

生きるをとことん、生きていきます。

いきるということ☆」への4件のフィードバック

  1. tensetsu

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    あやこさん、こんばんは。
    読ませていただいて、とても感動しました。
    あやこさんはお母様をとても愛されていたんですね~。
    天国へ行かれてもあや子さんを見守っていて下さるでしょうし、
    あや子さんもその思いに応えてる。
    あや子さん母娘、素晴らしいですね。
    とても勇気をいただきました。
    ありがとうございます。

  2. かおりん

    SECRET: 0
    PASS:
    あやちゃん やっぱりやっぱり涙が止まりません
    ありがとうね
    思いを全て打ち明けてくれて
    なんて素敵なお母さん
    なんて立派で誇り高く品格に溢れ 強く清らかで美しいお母さん
    あやちゃんは そんなお母さんの血を引いた立派な娘
    やっぱり素敵だし あやちゃんに出逢えてよかった
    ありがとう
    父を亡くしたとき やっぱり私も いろんな悲しみに襲われたけど 父に恥じない生き方をしようと決めた
    あやちゃんは両親の宝物 自慢の宝物
    あやちゃんがこれからもこれからも輝き続けるのをお母さんは すぐ傍で見守ってくれる
    あやちゃんを心から尊敬しています

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